横一線

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子供と親は同じ人間ではありません。別の人格です。
馬を川辺まで連れて行っても水を飲むかどうかは馬次第という話があったと思いますが、他人にできる事というのは限られています。
また学校も放課後も子供達の世界であって親が踏み込める場所には限界があります。
( 中略 )
いずれの方向にせよ状況が深刻になるほど子供は無口になって事実を話さないようになると思いますが。

ある程度の年頃になったら、恥ずかしがって親を避けるようになるでしょ?特に男の子だったらそれが普通じゃないですか?
親に出来る限界はきっとあるでしょう、もしくは、親の対応によって余計深刻になってしまうケースもあるでしょう。親が知る頃には既に追い込まれてしまっていたというケースもあるでしょう。
だからといって親が何もしなくていいというのであれば私はそう思いません。子どもとボクは確かに別人格で、他人です。と同時に、もっとも子どもに近いところに居る他人でもあります。最初に出会う世間とも言えるでしょう。そんな親だからこその一手を考える必要は必ずあるとボクは思うのです。

っていうか、実は学校でいじめられているけど家では元気に笑顔で親と話す子供なんて、そのへんのドラマにだって頻出だと思いますけど、テレビも見ないし小説もマンガも読まないですか?
それから、あなたは「子供は親に学校などで起きた事を何でも話して当然」と思っているようですが、それは「子供の自主性を無視した要求」じゃないのですか?
子どもは演技するから話をすることで問題を知るのは無理だと、テレビや小説やマンガを根拠におっしゃっているようですが、それが全てだとはボクは思いません。
演技をしなければならないと親を思いやれる年齢の頃に起きた問題の場合、まず子どもは自分で解決しようとするのかもしれません。ボクだったらそうします。
しかしそれが解決出来なかった場合、それが恥ずかしいことだと、知られてはいけないことだ考えてしまうような子にはしたくないのです。どうすればいいのかというのは、まだボクにもはっきりとわかっていないからこうして恥を晒して書き続けているわけですが、自然に話が出来る環境づくりは親だからこそ出来るのではないかと、ボクはそう考えています。
子どもと話をすることを「子どもの自主性を無視した要求」だと思われる根拠もよくわからないのですが、ボクは別に子どもへ誘導尋問をかけようとか、口を割らせようと言っているわけではありません。

不登校が増えた理由は一方では学校に行きたくないと思わせる理由が増えたからかもしれませんが、他方では今までどうしても行きたくないような状況になっても他に逃げ道が無いから通い続けるしかなかったのが、徐々に不登校という選択肢が認められ(不登校という名称になったのもその流れ)フリースクールなども増えてきたという事があるんじゃないですか?
学校がそのフリースクールと同じ機能を果たさないことをボクは異常と思っているのです。学校というものが存在するのは社会人になるための協調性などを養う場であるのですから、子どもは「フリー」であることを前提にしてくれないと学校そのものの存在意義が無いように思わないのでしょうか。
人の能力や性向を基準にhateneさんは横一線とおっしゃっていますが、どうしてその横一線という言葉を思いつくのかと言えば、それはhateneさんの学校時代には常にその横一線という見えない番人が鎌首をもたげていたからに他ならないのではないでしょうか。不登校が増えるのもhaeneさんみたいな横一線の強迫観念に捉われた人々が増えすぎたせいかもしれないですね。
もちろん、ボクのところもイジメが無かったかというとウソになりますし、横一線という基準もおそらくあったでしょう。ただ、その横一線という基準もあくまでひとつ指標にしか過ぎなかったから、お言葉を借りれば学校に逃げ場が沢山あったのではないか、またそれが普通だったのではないかと思うのです。
余談ですが、フリースクールに安住の地を得た子は幸せかもしれません。がしかし、そのせいでその子の代わりがまた学校で生まれるのかと思うと、あまりにも目先の問題に捉われてすぎやしないかと、不安になります。

例えばクラスや班の「仲間」たちと「仲間」であるためには、空気を読み協調性を発揮し和を乱さぬよい羊でなければならないでしょう。支配するのは空気です。場に存在する見えないルールです。それはどこにでも存在します。
その支配に対して従順になれないという事は充分学校に行きたくない理由になりますよ。相性にもよるでしょうけど、どんな体質の学校でも浮く人は浮くでしょう。
クラスや班はこちらの意思など関係なく組まれてしまうものでしょう。そこに見えないルールを作ってたなんて全然覚えていないんですが。そういう見えないルールがあるんだと親に教えられたりしたんでしょうか。いや、やっぱりhateneさんの居た学校とボクのとは違うような気がします。
ひょっとしたら、学校の本質は同じなのに、ボクはそういうところが全く見えていなかったのかもしれませんし、hateneさんが勝手にそういうルールを見出していたのかもしれないし、今となっては確認のしようがないと思うので、有難くこのご意見を頭の片隅に入れさせて頂きます。
「浮く」という言葉もそうですが、学校のどの場所に居ても何かの記念式典をやっているかの印象がhateneさんの文章からは伺えますね。気を抜くところが本当に無かったようにも思えてきます。はっきり言って、嫌ですそんな学校。
そんな学校が「当たり前」で「当然」で「そうあるべき」だと社会が言うのならば、小学校一年からフリースクールに通わせてた方がよっぽど人格形成に役立ちそうな気がしてきました。

(P.S.:「子羊」と書いたのは例えば中学生の頃なら子供だからです。)
都合の良いところだけ子ども扱いするのもhateneさんの通ってた学校の特徴でしょうかね。
親に心配かけさせまいと必死に演技したりするような、親が入り込める場所にも限界が出てくる年齢層だと知っていながら、一方ではそうやって子ども扱いのままなのは、自分の子を知った気になってることの危険性として自戒にしたいと思います。