親に「空気読め」と言えないのはなぜなのだろう


そうは言っても、年さえ取れば自動的に成長するというものでもないし、疲れていれば心のバリアが弱ってることもあるし、しつこく言われ続ければ影響無しという訳にもいかないだろう。
ああそうか、一人の人間としてみるならば親としても一人の人間として接しなければならないということを言うのを忘れてました。
親心がよくわかる子どもほど、その過干渉を無碍に嫌と言えないという悪循環はよくわかるのですが、わかるのであれば、それを拒否する態度をとっても良い年齢じゃないかとは思うんですよね。結局なるようにしかならないので贅沢な期待といわれればそれまでなんですけども。
しかし子どもと接する距離感というのはお互いが自然に掴むものだと思うのだけれど、そうはいかないのでしょうか。
なんか、家族ゲームを思い出してしまいました。