日本人は、もともと感傷的な國民だが、大らかさ、寛容の精神を持つてゐる。

大昔の日本人にとって神様たちは怖い存在でしかなくて、常に鎮めておくものだったり、これだけ尽くしているのですからと契約関係で護持を得ようとするところがあるのかな。大物になるとなんでも神みたいだし。
つまりは新しい価値観や神様の流入に対しても同じように畏敬の念を抱くクセがあったから受け入れやすかったんじゃなかろうか、と。
ごめん、今日も全部憶測だ。
龍成は何か喋りたいなら勉強しろと、私は言いたいです。