本当に我々が、我々自身の持つ狂気を知っていれば、聖戦とか、イラクの自由作戦とかだけでなく、ラブアンドピースとか、人間の盾とか、そういった大義を抱えて行動するものなのでしょうか。
長崎で被爆した奥さんの居る観光タクシーの運転手が言ってました。
「みなさんも、みなさんの親戚なり家族なりが、一瞬にして焦げ、消え去ってしまうことを経験すれば、絶対に戦争しようなどと思わないはずです」と。
内々にある狂気には逆らえないと、素直に従うべきでしょうか。名を変え品を変え、そこかしこで芽生えてしまうその狂気をコントロールすることというのは、少なくとも反戦運動ではないと、そう思うのです。
と、龍成が言ってました。偉そうに。
世界の平和なんかより龍成には明日の稼ぎだけをしっかりと考えてほしいものです。