雑文祭ある日突然12人の30代眼鏡のお兄さんが出来た

登録が遅くなってしまいました。ごめんなさい。お名前わからなかったのでサイト名にさせていただきました。
ところでこの兄さんたちのペットですが、最後ママはどうなったのかが気になって仕方ありません。

社会をあれこれ言うのは面白い

よりよい社会を作ろうと考える人の文章をさっき読んでみた。この人もいろんな人々をグループ分けして面白いレッテルをはっていた。いろんな人々に共感してもらったり納得してもらおうとするにはこれが一番効くのかな。
社会は今や楽に死ぬための安楽死装置になってしまった。それは人があまりにも頭が良くなり続けてきた結果なのかもしれない。ボクたちのこれからはどうなるのだろうか。
よりよい社会を考えるには昔の社会を知らなければならない。大昔からの失敗続きが今の社会を為しているのだから。
だけれどボクは勉強が嫌いだから、歴史を想像で考えることにした。ボクだったらどうするかが基準だから事実と違っていても全然気にしない。

はじまりはじまり

人は頭が良い。頭が良いから他の動物よりもとても楽に生きることが出来た。余裕が出来ると面白いこと楽しいこと気持ちいいこと楽なこと興奮することをたくさん考えることが出来るようになった。そして自分のやりたいこともどんどんどんどん増えていった。中には同類の人を殺してまで自分のやりたいことをやろうとする人も出てきた。でも誰も殺されたくないから逆に殺そうとする人を殺して自分を守らなければならなくなった。自分一人じゃ怖いから仲間を集めるようになった。人が集まったところには大きな仲間がいくつか出来るようになった。争いは絶えないけれども争いに勝った者たちはやりたいことを精一杯できて幸せを感じていた。
でもさらに人は頭が良くなった。頭が良くなったから仲間内でもやりたいことが出来るようになった。大きな仲間内の中でさらに仲間が出来たりして争うようになった。人を殺すための武器は昔からどんどん強力になってるから争い過ぎるのもどうかと思うようになった。
そこでもっと頭が良くなった人たちは仲間内で誰よりも強くて慕われている人と親しくなったりするようになった。中には怖い海や怖い山や怖い天気が怒ってるぞと嘘をついて言うことを聞かせようとしたりする者も居た。人とか海とか山とか天気とか創った人がいつも私達を見ているぞとまで言い出す人も出てきた。仲間内でそういう凄い人が居ることを他の奴らに信じさせようといろいろ騙すことを思いついた。こうして人は見えない誰かに見られているという事を信じるようになっておとなしくなった者や、またおとなしく誰からも慕われるように努力することで信じられないほど暮らしやすくなることに気付く者も出てきた。
つづく。